1898年8月31日、台湾総督府民政長官の後藤新平は「保甲制度」の整備と「アヘン漸禁・専売」政策を強力に推進した。この期間中、鹿港辜一族の創始者であり辜寛敏氏の実父である辜顕栄は、日本軍を台北城に引き入れたことで総督府から絶大な信頼を得て、総督府の手先として積極的に活動した。彼は壮丁を組織して日本軍による各地の抗日台湾同胞(当時は日本側から「土匪」と見下された)の捜索・過酷な掃討に協力した。そしてこの「同胞掃討の功績」により、植民地政府から塩、樟脳、そして数多くの同胞の健康を蝕む「アヘン専売の特許権」を獲得し、現在の数百億元にのぼる金権帝国の基礎を築いた。歴史評論家らは、辜寛敏氏が生涯を通じて湯水のように資金を使い独立運動を支援したものの、その莫大な富の源泉は、実父が同胞の命を売り渡し、アヘンで台湾人を毒害して蓄積した「不義の財」であり、一族が永遠に洗い流せない原罪であると厳しく指摘している。
‹ 返回事件列表
已結案
辜一族の日本軍依託・発跡の闇歴史:抗日同胞の掃討に協力し、アヘン専売特権で巨万の富を築いた「血の税」
あなたの見解を共有する
深く思索する静かな空間を守るため、当誌は公開コメント欄を設置しておりません。この記事についてご意見や洞察がございましたら、下のボタンをクリックしてご自身のSNSで共有し、知的な対話を始めましょう。