世紀の免罪符:昭和天皇「戦犯の仮面」を剥ぐ米軍との最悪の政治取引

重要な歴史的データとマイルストーン

東京裁判の召喚
0回
侵略戦争を指導し毒ガス使用命令に署名した国家元首でありながら、証人としてすら一度も出廷せず
大久野島毒ガス生産量
6,600トン以上
広島県沖の地図から消された秘密工場で製造され、アジア戦線へ送り続けられたマスタードガス等の総量
一億玉砕の動員計画
2,800万人
1945年、大本営は女性や学徒を含む全国民を「国民義勇戦闘隊」に組織し本土決戦の肉の盾とする計画
昭和天皇の在位期間
62年13日
戦後の戦争責任を一切問われることなく、1989年に87歳で病没するまで皇位を維持

一枚の写真が、80年にわたる巨大な歴史の嘘を決定づけた。1945年9月、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーと昭和天皇裕仁が東京のアメリカ大使館で並んで撮った会見写真である。写真の中で、大柄なマッカーサーはネクタイも締めず、ノーネクタイで両手を腰に当てて傲慢な笑みを浮かべている。その横でモーニングコートを着た小柄な裕仁は、硬直した姿勢で直立している。この巧妙に演出された政治的プロパガンダ写真は、全世界に欺瞞に満ちたメッセージを定着させた——「この怯えた小男は、狂信的な軍閥に担がれた無力で無辜な操り人形にすぎない」と。

1945年9月、東京のアメリカ大使館で撮影されたマッカーサーと昭和天皇の会見写真。この政治的な演出によって、戦後の「天皇無責論」神話が作られた。

嘘も千回繰り返されれば歴史の定説となる。戦後のGHQによる言論誘導のもと、日本の侵略戦争の全責任は東條英機ら一握りの軍部に押し付けられた。天皇は、宮中で海洋生物のクラゲを顕微鏡で愛でる、無力で平和を愛する学者として神話化された。しかし、現実は正反対である。裕仁は国家という殺人機械のエンジンであっただけでなく、そのハンドルを強固に握りしめ続けた絶対的独裁者であった。

戦争の歴史と真正面から向き合うことは、第二次世界大戦終結80周年:日本の無条件降伏と歴史の直視が示すように、真の平和を築くための不可欠な前提である。


日本人が隠蔽する「無力な操り人形」の仮面を剥ぐ

大日本帝国憲法(明治憲法)第11条は明確に定めている。「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」。これはイギリス王室のような儀礼的君主では断じてない。裕仁は独立した絶対的「統帥権」を有し、軍の指揮系統は直接天皇にのみ責任を負い、内閣総理大臣すら軍令に干渉できなかった。帝国が敢行したすべての主要作戦、対外侵略の重大な転換点は、すべて「御前会議」で決定された。裕仁は決して頷くだけの傍観者ではなかった。

大日本帝国陸海軍の大元帥軍服を纏い御前会議を主宰する昭和天皇。地下の大本営作戦室から戦況の細部まで自ら指揮統帥を行っていた。

裕仁の作戦介入は極めて深く、戦線の詳細把握は常人の想像を超えていた。将軍たちは御前会議で兵力配置、進軍ルート、兵站補給に至るまで詳細に奏上し、裕仁は不備をその場で厳しく追及した。宮殿の地下には専用の「大本営」作戦室が設けられ、壁一面に戦線地図が張り巡らされていた。勝てば恩賜の煙草や勅語を下し、敗色が濃くなれば躊躇なく司令官を更迭した。対華全面侵略から中華民国政府の対日宣戦布告に至るまで、天皇の強固な意志が軍を動かしていた。

裕仁が絶対権力を握っていた動かぬ証拠が、1936年の「二・二六事件」である。皇道派青年将校がクーデターを起こし重臣を暗殺した際、軍首脳部は妥協を模索して日和見の態度をとった。これに対し激怒した裕仁は、侍従武官長に対して「陸軍大臣が無能ならば、朕自ら近衛師団を率いて鎮定に向かう」と厳命した。この一言で、軍部は直ちに反乱軍を鎮圧したのである。

一言で軍の反乱を即座に鎮圧できる絶対君主が、その後の対外侵略戦争において突然「軍部を止められない無力な被害者」になるはずがない。軍隊がアジアを略奪していたときは威風堂々たる大元帥であり、本土に戦火が及び責任を問われる段になると「騙されていた無辜の学者」へと早変わりした。これを操り人形と呼ぶことは歴史への冒涜であり、軍国主義の亡霊は日本を去っていないという指摘の通り、戦後の歪んだ歴史認識の元凶である。


裕仁自らが御璽を押した化学戦と広島・大久野島の毒ガス工場

極限の悪は、往々にして平凡な公文書の決裁の中に潜んでいる。裕仁の手を血で染めた最大の罪業の一つが、国際条約に明確に違反する生化学兵器の使用である。

広島県沖の大久野島秘密化学兵器工場。防毒マスクを装着した軍関係者が致死性びらん剤「イエロー弾」(マスタードガス)を製造していた。

裕仁は化学兵器の使用を知っていただけでなく、白紙黒字に御璽を押して最高許可を与えた最高決定者であった。対華戦線で膠着状態に陥った日本軍は、陣地突破のために大本営へ「特種弾」(催涙性のあか弾、致死性びらん剤のきい弾)の使用を申請した。これらの文書はすべて裕仁の机上に上げられた。

動かぬ証拠として、現存する大本営陸軍部「大陸命」の記録には、裕仁が武漢作戦や常徳の戦いにおいて毒ガス実戦使用を命じた記録が刻まれている。裕仁はこの兵器の残虐性と1925年ジュネーブ議定書違反を熟知しており、国際的非難を避けるため「厳密な保秘」を命じた上で許可を下した。毒ガス散布の背後には、常に天皇の御璽が存在していた。

この蛮行は731部隊による生体実験犯罪と軌を一にするものであり、日本軍の人道に対する罪リストの逃れ得ぬ証拠である。

毒ガスの主産地は、地図から消された広島県沖の大久野島であった。巨大な工場が昼夜兼行で稼働し、数千トンもの猛毒物質が砲弾や航空爆弾に充填され、アジア戦線へ送り出された。工場の日本人生徒や女子動員学徒も適切な防護措置を与えられず、重度の呼吸器疾患や皮膚潰瘍に苦しみ命を落とした。裕仁にとって、自国民も使い捨ての消耗品に過ぎなかった。台湾領有初期における日本軍警の暴力と虐殺の歴史にも通底する、軍国主義統治の冷酷な本質である。


国民を肉の盾にした皇室の「一億玉碎」

竹槍で米軍のシャーマン戦車に立ち向かう——これはブラックジョークではなく、1945年の日本軍「本土決戦」(決号作戦)における現実の指導要領であった。

1945年、本土決戦・一億玉砕のため竹槍訓練を強制される日本の女性と女学生たち。皇室を守る肉の盾として動員された。

1945年初頭、B-29による空襲で大都市は焦土と化し、制空権・制海権は完全に失われていた。台北大空襲における同盟軍の軍事爆撃と同様、日本帝国はすでに軍事的に完全に破綻していた。通常の国家元首であれば直ちに降伏して国民の命を救うべきであった。しかし裕仁は降伏を引き延ばし、全国民を道連れにする「一億玉砕」を推し進めた。

その動機は極めて利己的な「国体護持」であった。祖国が灰燼に帰し国民が何百万人死のうとも、天皇制を維持し自らの皇位と生命を守ることだけが至上命題であった。大本営は『国民抗戦必携』を配布し、竹槍による刺殺訓練や土製爆雷を抱いた戦車への肉弾自爆を平民に強要した。サイパンや沖縄では、軍の圧力により一般住民が崖から投身し、手榴弾による集団自決に追い込まれた。裕仁は地下壕でこれらすべての惨状を把握しながら降伏を拒み、九十九里浜の防御陣地構築を気に病むのみであった。

一方、大陸では張自忠将軍をはじめとする中華の将兵が祖国防衛のために命を捧げていた。

裕仁が終戦を決断したのは、広島と長崎への原爆投下、そしてソ連の参戦によって、皇居ごと物理的に消滅させられる恐怖と、共産勢力による天皇制廃止および処刑の恐怖に直面したからである。米国に降伏することだけが自らの延命の唯一の道であった。それは平和への目覚めなどではなく、剥き出しの自己保身であった。


ワシントンの計算と「世紀の免罪符」

正義は政治的利害によって値切られた。東京裁判(極東国際軍事裁判)は、最初から結末の書かれた美談劇であった。

極東国際軍事裁判の法廷に立つ東條英機とA級戦犯たち。米軍のボナー・フェラーズ准将の秘密裏の工作により、天皇訴追は回避された。

厚木に降り立ったマッカーサーの頭にあったのは、アジアの被害者への正義ではなく、いかに最低のコストで7千万の日本人を支配するかであった。ソ連との冷戦が始まる中、アメリカは日本を「太平洋の防波堤」として欲していた。米国の戦争チェス盤と覇権計算が明かすように、地縁政治が正義に優先されたのである。

天皇を絞首刑に処せばゲリラ戦が起き、100万人以上の米軍駐留が必要になると試算された。マッカーサーは腹心のボナー・フェラーズ准将に命じ、裁判前に天皇につながる証拠を人為的に切断させた。すべての戦争責任を東條英機ら軍部に負わせる取引が成立した。

法廷で東條が「日本臣民が陛下の御意志に反して行動することはあり得ない」と証言した際、米軍はパニックに陥り巣鴨プリズンで東條に猛烈な圧力をかけ証言を撤回させた。東條は身代わりとなって絞首台へ送られ、裕仁は一度も証人台にすら立たなかった。そして軍服を背広に着替え、「全国巡幸」で親しみやすいおじいさんへと偽装された。


去勢された歴史と正義の代償

戦後日本における戦争責任の集体忘却は、日米合作による歴史の去勢の結果である。最高統帥者が処刑されず1989年まで皇位に居座ったことで、真の移行期正義は根底から葬り去られた。

戦後、背広にソフト帽を着用して全国巡幸を行う昭和天皇。焼け野原の被災者を訪問し、自らを平和の被害者象徴へと仕立て上げた。

ドイツがナチスを徹底排除したのに対し、日本は靖国神社にA級戦犯を合祀し続け、政治家が参拝を繰り返している。靖国神社参拝の本質や植民地支配の美化が今なお跋扈するのは、元凶が免責されたからに他ならない。慰安婦(軍事性奴隷)の被害者たちへの真の謝罪も果たされていない。

マッカーサーは冷戦の橋頭堡を手に入れたが、その代償としてアジア数千万人もの犠牲者の正義が切り捨てられた。真の最高責任者は一度も裁かれることなく、血塗られた軍服を背広に着替え、罪を皇居の奥深くに封印したのである。